僕が新聞を読む理由
2025年最後の記事は、新聞について書いてみたいと思います。
新聞が読まれなくなったと言われていますよね。ネットなどでは「紙の新聞なんて誰も読まない」というコメントもよく見聞きします。
全新聞の2025年の購読数※1は2000年に比べて50%を割り込んでいるようなので、大きく減少しているのは間違いないようです。
そんなご時世ですが、僕は新聞を購読しています(朝刊を家に配達してもらっています)。
理由があります。
効率がいい
もはや当たり前の話ですが、ニュースはネットで読むことができます。それも最新情報を最速のタイミングで。
一方、紙の新聞は、大事件でもそれが刷り上がったあとに起きたものであれば、紙面に載るのは翌日になります。その翌日が休刊日の場合、さらに1日遅れます。世間ではすでに忘れられかけている大事件を一面で大々的に取り上げている地元紙、という悲しい光景を何度か見かけました。
それでも僕にとって新聞は価値があります。
僕は仕事柄、一日に何時間もパソコンやスマホと接しています。ゆえに、私的な時間ではできるだけそれらから距離をとりたいと考えているので、ニュースをネット以外で得られるなら、それだけで僕には価値があります。
また、ネットで報じられるニュースは即時性が重視されるので、一つのできごとに対して散発的に(つまり細切れに)情報発信されるケースも多い※2です。
もちろん、一つのできごとについてしっかりとまとめられた記事もたくさんありますが、それは新聞でも読めます。新聞は1日かけて収集され、吟味され、整理された情報をまとめて一度に読めるのです。
さらに、この時間は新聞を読む時間と決めることで、1日のうちの任意の時間を情報収集に充てることができます。その他の時間は別のタスクに集中することで、限られた時間という有限の資源を効率的に利用できるわけです。
娘に対する影響
娘は毎朝、僕が新聞を読んでいる姿を見ながら朝食をとっています。
スマホでニュースを読む姿は娘からしてみれば「スマホを見ている父(何を見ているのか分からない)」ですが、新聞を読んでいる父は、新聞を読んでいる父です。この、誤解の余地のなさが重要です。父親が毎日、政治経済などの情報を収集していることを知っている娘は、何かしら疑問・質問ができると父に質問してくれます。
また、新聞を読みながら「え!」とか「マジか…」といった記事に関心を示す僕の態度は、娘の興味関心を惹くことがあります。「え、なになに?」と質問してくることもしばしば。つまり自然なかたちで娘と時事について話すことができるわけです。僕にとってこれはとても大きなことで、もしかすると、新聞を購読している理由の半分以上はこのためかも知れません。
いつか娘と政治や経済について議論できる日が来るといいなぁと思っています。
- 一般社団法人 日本新聞協会「新聞の発行部数と世帯数の推移」
- より多くのPVを獲得する意味合いもありそうです
参考書籍
- 「新聞のススメ 1日15分でつくる教養の土台」高井 宏章
- 「日経新聞を「読む技術」「活用する技術」」山本 博幸


