地元の祭りに参加してみた

先日、地元の祭りに家族で参加したんですが、色々と思うことがあったので、今回はこのことについて書いてみたいと思います。




250年以上の歴史を有する「神幸祭(しんこうさい)」は、鳥取市の(ひじり)神社の祭りとして、2年に一度、開催されています。同神社周辺の商店街が氏子となり、各商店街はそれぞれ連のようなものを組織して、神輿(みこし)山車(だし)、お囃子(はやし)と踊り子たちが、神社から出る神輿を先頭にした神幸行列に加わって市内を2日間に渡って練り歩き、踊るという祭りです。

氏子であるT町で暮らしている以上、隔年で行われるどんちゃん騒ぎは、祭りに参加するしないに関係なく無視できず、当然その存在は知っていました。しかしこれまでは、祭りに参加していなかったこともあって深く考えたことはなく、幼い娘がようやく昼寝してくれたところに行列がやってきて……おいっ(怒)……というような印象しか正直ありませんでした。

ちなみに参加の経緯ですが、町内の子供会から誘いがあり、娘が出たいということでトム(妻)も一緒に参加することになり、その後「人が足りないから出てくれないか」との要請があって僕も出ることになった、という流れです。

祭りの維持には多額のカネが要る

祭り(踊り)の練習に参加するようになって1か月ほど経ち、まもなく祭りだという時期になって、町から「祭りの参加費として、1人5000円お願いします」という連絡がありました。

我が家は3人参加しますので、合計で1万5000円となります。新参者の僕が空気を読まず使途を確認したところ、祭りの最中に提供する飲食物のためとの返答。それにしては少し高いですよね、という話から、これは参加費ではなく祭り維持のための寄付であることが分かりました。

祭りに色々とお金がかかることは想像がつくのですが、特に山車の維持費が高額になるようで、保管庫の賃料が2年間で30万円(火災保険料込)、またタイヤ交換で130万円となかなかの金額。他には、練習時に使う照明や発電機、当日の着付け代やウグイス嬢謝礼、後日の慰労会費用などを入れると80万円超です。

一人が支払う参加費(寄付)が5000円なので、単純計算で160人が参加すればいいのですが、超少子高齢化しているT町には祭りに参加できる人はそんなにいません(そもそも町民自体がそんなに多くありません)。以前はT町にもたくさんの人が住んでいたので、祭りの経費は寄付金で賄えていたのでしょうが、今は全く足りていないわけです。

この不足分はお花代と言われる寄付や協賛金で賄われます。これは町外の人や企業が支払う場合もあれば、T町に暮らす人が規定額(5000円)以上に多く支払うこともあるようです。

次世代に祭りを継承するための障壁

娘がこの祭りに参加する理由は、おそらく単に「楽しそう」というものだと思いますが、大人、特に昔からこの祭りを大切に営んできた比較的恒例の方々にとっては、娘のような世代にもこの行事の意味をいつかは理解してもらい、由緒正しく継承していってほしいと願っているはずです。

しかし障壁が存在します。

祭りに本気の方々の多くは、若い頃からこの祭りに親しみ、そこでの経験やできごとをnarrative(ナラティブ)、つまり祭りを守ってきた者たちの物語として共有しているのだと想像します。だからこそ祭りは彼らにとって価値があり、多額の協賛金、何千万円もの遺贈寄付をする人までいるのでしょう。後半に少し触れますが、かつての祭り体験そのものが素晴らしいものだったこともあると思われます。

しかし、僕も、僕の娘もその物語を持っていません。祭りの物語を僕たちが持つようになるためには、それだけの時間と経験が必要です。

おそらく、中心になって祭りを運営している方々の多くが、10年以内に年齢的・体力的な問題で退場を余儀なくされると予想します。必要なカネは出し続けられるかも知れませんが、それだけでは祭りは実行できません。10年の、さらにその先はどうなるでしょうか。

物語を持たず、心底「この祭りを守っていきたい」という気持ちが醸成されないまま、祭りを継承する(させられる)ことになる世代は、果たしてそれを受け継ぐことができるのか、受け継ごうとするのか、僕には甚だ疑問です。

まず、絶対数が少ないこと。100人いて、その半分にやる気とカネがあれば祭りは動かせるかも知れませんが、分母が10人しかいない組織の半分が動いたとしても足りません。人も、カネも。

T町にもっとたくさん住んでもらって子供や現役世代を増やせばいいのではないかと思ってしまうのですが、当然それは非常に困難だし、仮にそれが実現したとしても、繰り返し書いているとおり、共有されている物語がない以上、祭りと真剣に向き合える人は多くないと思うのです。実際、僕などは「踊り子として参加すること自体、祭りの維持のための協力なのだから、これ以上の金銭的負担などもってのほか」などと考えている始末ですし。

以上のような考察から、「子供世代に祭りを継承するなら、経費をどう賄うか、寄付に頼る今のやり方以外の仕組み、少なくとも何らかの方向性を示したうえで渡すべきでは」と町に提言しました。

帰ってきたのは、「祭りで大切なのは(いき)であり、花(寄付・協賛金)という粋な散財によって支えられるべき」という答えでした。

もちろん、それも分かります。しかし、粋であるかどうかは個人の感覚であり、それが共有されているとしたらやはり積み重ねられてきた共有体験に基づくものが大きいのでしょう。それに、自分が考える粋を別の誰かに「これが粋だから」と押し付けるのは、むしろ無粋(ぶすい)ではないのか。

ここにもやはり物語が障壁となるような気がします。

実際に祭りに参加してみて

祭りが終わり、数日が経ちました。


(2023年5月撮影)

祭りに参加する前の僕とは全く違う僕が、ここにいます。彼らが守ってきたものが、全てではないにせよ理解できた気がします(単純)。

まず、祭りに参加するために踊りを覚える必要があり、毎週2〜3回、夜に家族で練習会に参加しました。町内の住人たちと多少なりとも交流できましたし、空気を読まずに質問してくる僕に対して、口ばかり出してくるのではなくちゃんと参加する意思があることを彼らに伝えられた良い機会になった気がします。

祭り当日は、山車を引いて町の中を練り歩いて踊るのは、疲れたけど、とても楽しい経験でした。疲れから途中やる気を失いかけていた娘もなんとか2日間やりとおし、彼女にとっても良い経験になったようです。

ただ、それと同時に、祭りに関する懸念点が僕の中で増え、すでに感じていた課題の解像度も上がったように思います。

多くの祭りに言えることだと思うのですが、祭りは非常にハードで、体力勝負です。運営は高齢者でもOKですが、実際の祭りは若い人が中心になって担う必要があります。

聖神社の祭りも、大きな屋台や山車を担いだり引いたりして人力で移動させるので、筋肉と人数を要します。聖神社を取り巻く環境は、このいずれをも失いつつあります。実際に、前回まで稼働していた14の山車のうち2つが、今回から展示のみとなりました。

沿道には見物客はほとんどおらず、市民は関心を失っているように感じました(中には家の前にテーブルと椅子を出して、お酒を飲みながら楽しんでいる方もおられましたが)。かつては沿道にたくさんの見物客が立って歓声を送っていたそうなので、それは本当に興奮する体験だったのだと思います。

・・・

昔の良かった頃を取り戻すことはできませんし、その方向に努力するべきではないとも思いますが、ただ継続を目的として頑張ればいいのかと言えばそれも違う気もして……難しいですよねぇ。

aw

Live in Tottori-Pref, JPN. Love Camp, Sandwich, Coffee, Beer and Scotch on the rock. Pursuing Self-Sufficiency Life.

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