墓仕舞いについて考えてみた

今年の春彼岸、父とふたり、墓に花を供えてきました。足腰の弱った父は、墓地の駐車場から墓石まで歩くのも一苦労。10年近く前に、水路にかかる細い橋を渡らないと辿り着けない場所から、駐車場に近い今の場所に墓を移したことが奏功し、そんな状態の父でもなんとか墓参りができました。墓の移設は、当時存命だった祖父のためだったのですが。




この墓、僕の父にとっては、彼の両親が眠る場所ということもあり特別な場所なのだと思います。父の両親、つまり僕の祖父母という(ちか)しい人たちが入って以降は、僕にとっても、それ以前とは異なるものになったと感じます。

逆にいえば、それまでは、僕にとって墓は単なる石だったと言えます。昔から墓に向かって手を合わせてはいても、その行為が自分にとって真に意味を持つようになるのは、自分に深く関わりのある人が亡くなってからだった気がします。

そして、週に何度か、早朝のジョギングの途中に休憩がてら立ち寄り、草を抜き、合掌するようになったのは、祖父母が眠るからというだけでなく、そう遠くない将来に自分の親がそこに入るであろうことを以前よりも意識し、僕にとってより近い場所になっているからのような気がします。

誰が墓を仕舞うべきか

墓地を出て再び走りながら考えます。「さて、どうしたものか」と。

そう、墓仕舞いです。墓のことを身近に感じるようになったからこそ、このことについてよく考えるようになりました。

僕の父親は、自分がそこに入る前に墓を仕舞うつもりはないでしょう。彼にとって大切な場所なわけですし、僕もそれを望んではいません。

墓を仕舞うという決断をすべき役割が次に回ってくるのは、順番で言えば僕。そして考えます。「自分はその決断をできるだろうか」と。

先に書いたように、僕の祖父母が眠っているということで特別な場所になった墓は、自分の親が入ったあと、その重みを増してくると思います。より大切な場所になったその墓を、僕は仕舞うことができるのか。

そして、その先を想像した時、次の質問が僕の頭に浮かんできました。「僕が死んで墓に入ったら、娘にとっても特別な場所になるのだろうか」と。

娘は僕のただ一人の子供です。親である僕たちが娘にすべきことは、彼女が自分の人生を自由に選択できるよう、環境を整えてあげることだと考えています。彼女を不自由にするかもしれない、土地に縛り付けてしまうようなものは残したくない。負担が彼女に集中してしまうからです。トム(妻)と結婚当初に考えていた、土地を買って新たに家を建てることを止めたのも、将来僕やトムが相続するであろう土地の処分について既に検討を始めているのも、それが理由です。であれば、墓を残すなどもってのほか、と言えるかも知れません。もし墓を残せば、将来、娘が管理せざるをえなくなるからです。

墓が彼女にとって単なる負担でしかなく、なんの躊躇もなく墓仕舞いできるのであれば、然るべき時に実行してもらう、そのための費用を残しておけば問題ありません。しかし、墓のことなどなんとも思っていなかった僕がいま感じている感情のことを考えれば、娘にとってもそんなに簡単に割り切れるものではなくなるかも知れない。つまり、僕たちが眠る墓が娘にとって特別な場所になれば、それを手仕舞いすることが彼女にとっても難しい問題となる可能性があるということです。

であれば、時にサイコパスと言われるドライな性格の僕が、すぱっと自分の代で墓仕舞いするのが良きことであるように思います。

なぜ大切な場所なのか

墓が大切な場所であると考える父の気持ちは尊く、大切にしてあげたいものです。その気持ちにはできる限り寄り添いたいし、彼ほどではないにせよ、僕にとっても大切な場所だという認識はあります。

そこでふと、別の問いが生まれてきます。「墓仕舞いするということは、もしかすると娘にとっても大切な場所となる可能性のあるものを勝手に奪ってしまうことになるのではないか」と。

このような問題は理論立てて考えていけば解決するようなものではなく、考え方や結論は、培った経験や立場によって大きく変わっていくものなので、今の娘に「どうしたい?」なんて聞いても答えを得ることは難しい。

そこで、さらに考えてみます。「なぜ墓は自分にとって大切な場所なのか」と。

僕にとっての答えの一つは、祖父母があそこ(・・・)に眠っているというある種の刷り込みに近い考えと、実際に遺骨が置いてあるという事実です。

家族、親族が集まって手を合わせて先祖に思いを馳せる行為も、そこで生まれる会話やその後の会食などの交わりも、墓という物理的な存在が起点であることは間違いありませんが、大前提となるのはやはり、大切な人たちがそこにいると考えていることではないでしょうか。

であるならば、死んだ後、墓ではないどこかに「僕はここにいますよ」という場所を作ればいいのではないか、そんなふうに考えるようになりました。

死後の居場所をつくる

いま考えているのは、宇宙葬です。ロマンチックな感じになってしまいますが、日本でも世界でも、地球上のどこにいても(あるいは宇宙にいても)、空を見上げれば父(僕)がいる。そんなふうになれば、墓という物理的な拠り所は不要なのではないかと。

調べてみると、年内に上場が噂される※1Space Xのロケットを使って宇宙に遺骨を届けてくれる宇宙散骨や、

<世界初>オリジナル人工衛星にてご遺骨を宇宙へお届けする
宇宙散骨(税込¥1,100,000~)
ご遺骨を人工衛星(BOX)に納めた後SpaceX社のロケットに搭載。打ち上げたBOXは数年間、地球の軌道を周回したのち大気圏に突入して流れ星となります。
— 出典:さがみ典礼

もう少し安価に実施できるバルーン宇宙葬(バルーン葬)なんてのもあります。バルーン葬は、数メートルの大きな風船で遺骨を高度30~35km(成層圏)付近まで運び、散骨するというもののようです。

いずれにしてもまだ一般的な葬儀の形ではないためか対応している会社も少なく、実績も多くはなさそうです。

もう少し長く生きるつもりなので、今いま必要なものではありませんから、僕が死ぬ頃までに「これはいいね!」となる宇宙葬が生まれているといいんですが。

というわけで、お墓の話でした。

  1. 2026年4月現在

aw

Live in Tottori-Pref, JPN. Love Camp, Sandwich, Coffee, Beer and Scotch on the rock. Pursuing Self-Sufficiency Life.

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