映画「屋根の上に吹く風は」を観た

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先日、仕事の関係で知り合った方が開校した学校が映画になり、それが鳥取で上映されるよ、という情報を聞きつけたので、鑑賞してきました。

屋根の上に吹く風は」という映画です。


画像出典:「屋根の上に吹く風は」公式サイト

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「屋根の上に吹く風は」

「屋根の上に吹く風は」という映画は、鳥取県智頭町にあるデモクラティックスクール、「新田サドベリースクール」を題材にしたドキュメンタリー映画です。

デモクラティックスクールは、サドベリースクールとも呼ばれています(この記事でも、以下サドベリースクールと記します)。1968年にアメリカはボストンに開校したサドベリー・バレー・スクールを発祥としていて、ひたすら子どもを中心に据えて運営される学校です(*)。

サドベリースクールで最も大切にされているのは自由、そして民主性です。スタッフ(大人)に求められるのは、子どもを100%信じること。

サドベリースクールではその日に何をするか何をしないのかを子ども自身が決めます。運営ルールやお金の管理方法も子どもたちが中心となって決定するし、そうした活動をサポートするのがスタッフと呼ばれる大人たちなのですが、彼らの選任(来年度もそこで働くかどうか)も子どもが選挙を通じて決定します。

新田サドベリースクールも、基本的には同じ理念で運営されています。

この映画の監督さんや、新田サドベリースクールの創設者、卒業した子ども、現在もスタッフとして関わっている方など、多くの関係者が登場する以下の動画でより詳しい情報を得ることができますので、もしよろしければご覧になってください。

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映画を観てから数日間、上に掲載したYouTubeの動画を見たり関連情報を読んだりしてしばらく考えていましたが、まだ自分の中で整理ができていません。

おそらく「教育はこれが正解」と断言できるものはなく、そのど真ん中で悩み葛藤している大人や子どもたちの姿には共感できる点がとても多かった一方で、やはりサドベリースクールのような教育方針に僕はあまり賛同できないところもあって、自分の中でいろんなものがぶつかってる感じがすごくするんですよね。

とはいえ、ブログ記事を書きはじめてしまったので(笑)、現時点での僕の頭の中にあることを書き連ねてみたいと思います。

・・・

前述のとおり、サドベリースクールでは子どもが自分が何をするべきかを自分が考えて決定します。大人から何かしろと言われることもないし、あれをやった方がいいんじゃないかといった方向づけをされることもありません(*2)。

自発的に物事を考えて行動に移す力、自分の決定に対する責任感などを育むことが狙いです。

その日自分が何をするかといった小さなことから、ルール決めや会計処理、スタッフ選定といった学校運営に関する事柄まで、ありとあらゆる物事の決定プロセスに子どもが主体的に関わるよう促されるシステムは、誰がなんのために決めたのか分からない校則に縛られ、生徒に決定権のない時間割や行事で構成されている一般の学校のそれとはかなり距離があります。

また、一般の学校では時に個々人の成長を無視したかたちで、均質的な教育がある意味無造作に与えられますが、子ども自らが何かに興味・関心を持った時こそ、それを学ぶべきタイミングあり、子どもたちが自ら動き出すまで待ち、その時が来たら、機会と場所を提供してやることこそが大人の仕事なのだというのがサドベリースクールの考え方です。

自分のことを振り返って考えてみると、小学生の時の夏休みなんかは朝から晩まで、川や原っぱ、公園などでひたすら遊んでました。その日一日、どこでどんな遊びをするかを自分たちで決める。無茶をすれば怪我をしたし、増水した川で泳いで溺れかけたり、休館中の体育館に忍び込んだら見つかってゲンコツ食らったりと、正に自己決定の責任をとらされまくりでした。

学校で教わるような勉強は全くしなかったけれど、たくさんの遊びから確実に何かを学んではいて、おそらくあの(自由と責任の)体験が僕という人間を形成する要素のかなりの部分を占めているような気はします。

とはいえ、僕はバランスが重要だと思うんですよね。

「勉強しなさい」などと、大人から抑圧される時間があることで、それ以外の時間に自分の欲望、興味・関心に全力で向き合えるのではないかと考えています。

また、映画の中に登場する子どもたちが自己決定しているのではなく、自己決定させられているようにも見えました。

自分のことを自分で決める力は、成長の度合いを確認しながら適切にトレーニングすることによって培っていくべきものではないか。そう考える僕には、サドベリースクールのやり方は時に、かなり荒っぽく映りました。

・・・

映画の中で、一人の男の子(A君)が私立中学に転入しようとして失敗する様子や(その後、その男の子は新田サドベリースクールを休学し、東京の高校に進学)、別の男の子(B君)は中学校に進学するタイミングで同じ私立中学に受験し見事合格する様子が描かれていました。

彼らの決定がどのような経緯を辿ったのか、映画ではそこまでは分かりませんでしたが、僕は新田サドベリースクールでの日々の体験よりも、それぞれの親の影響が大きかったのではないかと想像しています。

先述のB君のお母さんは、新田サドベリースクールの創設者でかなりの高学歴者です。以前、仕事の関係で直接会っていろいろ話を伺う機会があったのですが、ご両親ともにしっかりと教育を受けてこられていて、このサドベリースクールだけでなく森のようちえんを開園するなど一風変わったキャリアを築かれてはいるものの、家庭教育の根底に学ぶことの大切さがしっかり根付いているという印象でした。

A君にしろB君にしろ、サドベリースクールでの時間よりも(とはいえその影響は否定できませんが)、家庭での時間、特に親とのコミュニケーションにおいて方向性が定まっていったのではないかという気がするのです。

かなり変わった学校であるものの、新田サドベリースクールに子どもを入れようと考え実行する親は、自分の子どもの教育について相当深く考えておられるでしょうし、しかもそれを(かなり)勇気を持って実行されていますから、「教育」についてかなり真剣に向き合っておられる方々だと思います。

学校で自由にのびのびと過ごしつつも、自分の教育や将来、幸せについて真剣に考えてくれている親の気持ちを感じて、本人も自分の将来、今やるべきことについて考えはじめるのではないのかなと。

映画の中で取り上げられていた事例はサドベリースクールから一般校へという変化でしたが、もちろん他にも様々な進路があるでしょうし、そしてそれは先述のように自分のことを真剣に考えてくれている大人の愛情を受けての決定なのではないかな、と想像を膨らませながら鑑賞させてもらいました。

僕の娘も来年いよいよ就学を迎えます。そんなタイミングで鑑賞した「屋根の上を吹く風は」は、教育についてあらためて深く考えるキッカケとなりました。

* 2021年現在、日本ではデモクラティックスクールは「学校」として文部科学省から認可されていません。
*2 米の栽培など、子どもがやりたいから始めたことでなない、以前からやっているので今年もやるといったことはあるようです。ただしこれに参加するしないも子どもの意思に委ねられるようですが。

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Live in Tottori-Pref, JPN. Love Camp, Sandwich, Coffee, Beer and Scotch on the rock. Pursuing Self-Sufficiency Life.

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