生活インフラを町単位から個人単位にシフトする
鳥取のような地方都市に暮らしていると、日々、市街地活性化だとか移住定住者を増やそう!だとか、そういった「まちおこし」にまつわる活動や発言をよく耳にします。
市街地活性化は、かつて中山間部の農村と相対するかたちで駅前に存在し、現在はシャッター通りと化した商業地兼住宅地を、商業的に再興させることが一般的なゴールです。
これによって固定資産税など主要な地方税の財源を維持・確保しつつ、より全体的には、コンパクトシティ化して、広く拡散してしまった居住域をある程度集約し、限られた税収を効率的に使いたいという考えがあります。
しかし、実際には、自動車の発達による郊外化、宅地化が進んだ結果、中山間部の農村もかつての市街地も、消滅に向かって進んでいます。
暮らしのインフラを自分で整備する
国も後押しするコンパクトシティ政策(*1)は、今後低下が見込まれる税収では、道路や水道、学校などの生活インフラを現在の水準で維持できないという問題に端を発しています。
けれども行政は、現在のかたちでしかインフラをサービスとして提供できないのでしょうか?
以前、キャンプハウスを建てる候補地として考えたトム(妻)の祖父母の土地は、水道が通ってなく、水を使うためには、200メートル離れたところまで来ている水道管に自費で接続するか、井戸と合併浄化槽を導入するか、いずれかを選択する必要がありました。
僕としては後者、上水道は井戸、下水道は合併浄化槽という案が良いと思っていました。結局、その土地にキャンプハウスを建てる案自体が、もろもろあって頓挫したのですが……。
電気やネット、ガスなどは民間企業が供するインフラですが(水道も民間委託するという話も*2)、仮にそれらが一切ない土地においても、
- 電気: 太陽光発電(オフグリッド)
- ガス: プロパンガス
- 水道: 井戸+合併浄化槽
- ネット: モバイルインターネット
といった内容で、基本的な生活環境は築けると考えられます。
ガスを使わないという選択肢もありますし、スマートフォンの画面をテレビに転送するガジェットは既に発売されているので、これとBlue Toothのキーボドをパソコン代わりに使用すれば、上記のリストからガスとネットが削除できます(ネットは、将来的には衛星を使った接続や、電話回線の高速化によるテザリングの実用性向上などで、物理的ケーブルを介した接続に依存しなくてもよくなっていくはずです)。
道路や学校など、個人では管理できないインフラもありますが、各戸の生活インフラ同様、行政サービスの範囲と個人の責任を理解したうえで暮らしはじめるようにすればいいかと。
どこでも自由に暮らせる
つまり、ある程度行政に頼りたい人は行政がサポートする地域、個人でなんとかできると考える人は好きなところで暮らせばいいわけです。
ただ、こうした暮らし方は、集まって暮らすのとは別の、そしておそらくそれよりも大変な苦労があるはずですし、金があるとかそういう意味ではない、本物の生活力を求められるような気がします。
そこで、例えば、価値観を共有できたり、技術や知識をお互いに補完できるような人たちが少数集まって、(まるでキャンプのように)小さな集落を形成して暮らすことができれば、孤立することで生じる問題もある程度緩和されるのではないかと思ったりします。
それに、市街地活性化とは少し異なりますが、行政が計画実行している移住定住者を増やす施策(*3)は、鳥取のような地方都市に移住したいと考える人や、自然の多い環境で子育てがしたいとか、自分で野菜をつくって半自給自足的なスローライフをしたいとか、自然派志向の人が一定数いるはず。
そんな人たちにとって、自然の中での暮らしを選択できるのは、大きな魅力に映るのではないでしょうか。
自立した暮らし方
人の需要や欲望、行動様式が変化した結果、弱体化し衰退しているものを、要因を無視して別の事情から再興させようとするのは、非常に難しいことです。
広く散らばった居住域を一定の区域内に集約するというのは、さらに困難だと想像します。
行政もインフラを整える地域をある程度集約しながら中長期的にコンパクトシティ化を進めるのと同時に、違う暮らし方を求める人たちには、こうしたスタイル・方法を推奨したり、制度的・金銭的にバックアップすることで、行政や地域に独自性が生まれ、魅力を高めることができるような気がするんですよね。
繰り返しになりますが、コンパクトシティに暮らそうが、郊外や中山間地に暮らそうが、行政と個人、それぞれの責任範囲を明確にして、自立した暮らしを目指そう! ってことですかね。
もちろん、こんなことが簡単にできるほど、シンプルな世の中ではないとは思いますが……。
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コンパクトシティに関する書籍は、こちらを興味深く拝読しました。
*1 国土交通省「重点的施策 コンパクトシティ・プラス・ネットワーク」
*2 2013年麻生太郎氏のSCICでの発言(48分頃の発言)
*3 以前記事にした、鳥取県が後押しする事業「森のようちえん」が、顧客獲得を目的として県外で招致活動し、結果として移住・定住に結びついているという例もあり、これは事業者の提供するサービスと顧客のニーズが完全に合致し、また事業者にとって確実なプラスになると理解できます。一方で、行政が行う同活動が、県や市町村にとってプラスになるかどうかという観点でいえば、移住者による増加数は常に減少数を大幅に下回っており、多額の税金をかけて本当に実施すべきものかどうかを懐疑的に思っています。
行政のやり方が問われることは多々ありますが、行政の社長は選挙で選ばれるし、行政に注文したり、行政の判断を承認する議員もまた選挙で選ばれた人たち。ある意味、民意の結晶なんでしょうけど。
選挙がある以上あまり尖れないし「徒競走を皆で手を繋いで並んでゴール」的な結論になってしまうのでしょうね。
イッシーさん、コメントありがとうございます。
鳥取県のような超過疎地、超高齢少子地域だと、「子育て王国鳥取」とか言ってはいますが、やはり、残されていく有権者=高齢者寄りのものに今後もどんどんなっていくんでしょうね。
この記事に書いたのは、市街化調整区域や土地の区分によって、個人の裁量で家が建てにくいケースが結構あり、それを緩和しましょうよ、なぜなら自然が豊かな鳥取なんだから、その真っ只中に勝手に暮らすことを価値として打ち出す、インフラは行政としてもサポートするけど一定の範囲は自分でやってね、責任も自分でね、という話なので、既存の住民に大きなデメリットがあるわけじゃないとは思うんですけどねぇ。どうなんですかね。
個人的には、今の行政に大きな問題を感じているわけじゃないんですが、このまま人口減少が進めば自治体として成り立たないことは火を見るよりも明らかで、それを打開するための一つの対策として移住定住者を増やすということを行政はやっているわけですが、あまり魅力的なビジョンを示すことなくやっているので、その一つのアイディアとしてこの記事は書いてみました。
私も一時鳥取に帰ろうか考えた時期もありますが、やはり故郷の魅力は自然環境にあると思います。確かに調整区域など、あまり自由が効きませんし、そういう場所の方が自然と一体だったりしますよね。私の場合、仕事があるか不安だったので、いつの間にか考えなくなりましたが。
私は人が減ること自体が一概に悪いとは思いません。粗っぽい言い方をすれば、人と土地の割合が北海道に近づく訳で、北海道は他所にない雄大な魅力が満載です。問題は土地があっても権利が細切れで、スケールの大きな事が出来ないことかなと思います。
いつだったか、里帰りをしたとき、畔で仕切られて隣り合った田んぼを2台のトラクターが耕しているのを見たとき、生産効率や設備の稼働率や人件費といった経営的な視点で見ると、有り得ない光景だなとふと思ったことがありました。
イッシーさん、コメントありがとうございます。
僕も鳥取に帰るつもりはなかったんですが、仕事で絡むようになって徐々に……気づけば根を張っておりました。しかし、オッサンになってから暮らす鳥取は思ってたよりも悪くなく、まだまだ元気な両親との生活も数年間楽しむことができましたし、帰ってきて良かったかなと思っています。今後どうなるか、分かりませんが。
人口減少についてイッシーさんのように問題視されていない方もいますよね。橋下徹さんも「江戸時代に戻るだけだ」と言ってましたし。
僕も悪い点ばかりではないと思っていますが、ただ、減少の仕方が急激過ぎるので、ある程度の人口ボリュームを想定して組み立てられているビジネスの多くが、デザインし直せないのではないかと考えています。例えば、500人くらい働いている工場の近くにあった食堂が、工場が突然閉鎖されたあと、それに適応できるかどうか、そんな話に似ているような気がしています。
田畑の区画は非常に効率が悪いですね。僕は仕事でとある農業法人と関わりがあるんですが、やはりそこは悩みのタネのようです。
ただ、今後は離農者が増え、また相続されない田畑も増えていくと予想されているので、財産としての田畑を一定数の所有者に振り分けるための区画整理より、事業としての効率性を重視して区画変更も可能になるのではないか、そんな話をしていましたよ。むしろ、そうでないとイッシーさんのおっしゃるとおり経営的な問題が大きすぎて、成り立たなくなってくると思います。