「キャンプに連れて行く親は 子どもを伸ばす!」を読んでみた

お盆中にAmazonの中をふらふらと巡っていたら、ふと目に留まったこちらの本。ちょっと気になったので、購入して読んでみました。以前なら、気にもかけなかったでしょうが……(笑)

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キャンプに連れて行く親は 子どもを伸ばす!

CAMP HOUSE/「キャンプに連れて行く親は 子どもを伸ばす!」を読んでみた

著者の論旨としては、「キャンプという自然体験を通じて、現代社会で子どもが(そして大人も)失いかけている感覚や感性を呼び覚そう、大人と子どもの関係性を強くしよう」というもの。

キャンプに必要な道具やキャンプ場の選び方、遊び方のヒントや提案、自然の魅力や危険の解説といった内容は、はじめてキャンプする人でも分かりやすい内容だと思います。

僕の場合、一人や友人たちとのお気楽キャンプは何度も経験があるものの、幼い子どもを連れてのキャンプは経験がないため、参考になる部分もありました。ウチの場合、この本にあるような「学び」をキャンプを通じて得るのは、もう少し先になりそうですが。

見守るのが一番難しい

ウチの子どもはまだハイハイしかできませんが、家の中でさえかなり気を配っていないと、思いもよらないNG行動をとることがあります。これが歩き始めたり、もっと成長すると、自然の中ではきっと、今など比較にならないほど「あー、それはダメ!」と言ってしまいそうな気がします。

しかし、この本では、とにかく「口や手を出し過ぎない」ことが大切だと言っています。今の大人は「見守る力が不足している」とも。

これを読んで、僕の友人が主宰している「森のようちえん」(*)を思い出しました。そこでは「だめ、汚い、危ない、早く」という言葉は禁句。子どもたちの力を信じて待ち、自然の中でのびのびと自由に過ごさせることを大切にしています。

この活動を通じて子どもたちは感受性豊かにたくましく成長していき、そして実は、大人こそが成長できるんだとか。いかに見守ることが難しく、その力を失っているかを物語る話だなと思いました。

オマケ-過去ブログ

この記事を書いていたら、森のようちえんについて過去に、別のブログに記事を2度エントリーしていたことを思い出しました。

以前から、同様のテーマに関心を持っていたようですね、僕。

いずれも長文なので、お時間のある時にでも。

(2008.4.6)

ある新聞記者の書いた、ドイツにある「森の幼稚園」という記事を読んだ。

「森の幼稚園」では、子どもたちは道具などは何も持たず、遊具など何一つない、ただの雑木林の中で遊ぶ。ルールはトイレの仕方だけで、あとは木登りをしても土を掘り返しても叱られることはない。木から落ちてちょっとした怪我をしても、引率の先生は笑っているだけ。何かを教えるということもなく(花や虫の名前を聞かれた時は答える)、ただ子どもたちをそこで遊ばせているだけ。それが「森の幼稚園」。

ここを卒業した子どもたちは、統計的に理科や体育、美術の成績が良いそうだ。感受性も豊かになる。鳥の鳴き声や風の湿り具合から、数時間後の天候まで感じ取ってしまう子どももいるらしい。

工夫することも上手になる。自分たちで遊び道具を作ったり、花の首飾りを作ったり、小枝を編んでボールを作ったりする。遊ぶルールを自分たちで定め、ゲームまで作り上げてしまう。

最近、後輩夫婦に二人目の子どもが生まれ、「子どもが育つ環境」について考えることがある。将来、もし自分が子どもを持つことができたら彼らをどんな環境で育てたいかと、相方すらいない自分には果てしなく遠い将来のことも、妄想しつつ。

しかし答えはすでに決まっていて、それはやはり、自然が近いところ。あるいは自然のド真ん中でもいい。

今、自分が住んでいる東京をはじめとして、都市の恐ろしいところは、人間しかいないところだ。動物も魚も虫も植物も、基本的には人間が管理できる状態に置かれている。人間は自然の中のひとつに過ぎないということを、ここで育つ子どもたちは正しく学ぶことができるんだろうか、と思う。

人がたくさん住むところには、ルールもたくさん存在している。それは大人が快適に暮らすためのルールで、基本的に子どもたちには関係がない。いつか、友人がこんなことを話していた。「子どもが家の壁に落書きをしたんだけど、それを叱っていいのかどうか、悩むんだ。公園の地面でやっても叱られないことを、家でやると叱られる。子どもにとっては理由が分からないと思う。俺があいつを叱るのは、俺たち大人が困るからだけなんだ。大人が困る。たったこれだけの理由で、子どもの行動を制限してしまっていいのかって、本当に悩むんだ」

自然の中では、そういう意味ではルールはないに等しいが、別の意味でのルールは厳然として存在する。そのルールを破ると、怪我をしたり、最悪の場合は命を落としたりする。自分が怪我したり痛い思いをしたり、あるいは友だちがそういう経験をしているのを目の当たりにして、彼らはいろんなことを頭と体で学んでいく。

何が子どもたちにとって良いのか、どういう環境が彼らを大きくしていくのか、当事者意識を持って問題に対峙できない僕には、まだ答えが分からない。答えはひとつではないだろうし、親の数、子どもの数だけ答えがあるんだと思う。

思うのは、いろんな体験をすることができる環境に置いてあげることができたらなということ。それは海外生活とか、異文化だとか、上質な物に触れるだとかそういうことではなく、暑い、寒い、熱い、冷たい、痛い、苦しい、楽しい、嬉しい、悲しい、寂しいなどといった、基本的な刺激や感情のこと。

電車で松葉杖を持って吊革につかまって立っているとき(*)、決まって声をかけてくれるのは、年老いた女性や男性だ。彼らは、痛む足を我慢して立っていることがどれだけ苦しいのか、分かるんだと思う。彼らが立てば僕よりもずっと辛いはずだが、他人の痛みや苦しみが分かるだけに、声をかけずにはいられないのだろうと思う。

人の幸せや苦しみを自分のそれと同じように感じられる、そういう人間になってほしい。自分が、そういう人間になれなかったので。

話が飛躍しすぎた。

そして、その4年後にもこんな記事を。

(2012.2.26)

比較的早く起きることができたので、コーヒーを飲みながら何日分かの新聞を読んだ(本当は毎朝こんなふうにできるといいんだけど)。

今朝の新聞に「森」に関する仕事や活動をする女性たちの記事があった。その記事の中に、智頭町森のようちえん「まるたんぼう」のスタッフの「94%が森林という智頭町の自然環境の中で日々過ごす積み重ねが子どもの心と体を育んでいる」という言葉が紹介されていた。

後輩夫婦も来年度からここに子どもたちを通わせる予定にしているらしい。実際にオープンキャンパス的なイベントに親子揃って参加しているそうで、「ここでは『危ない』『汚い』『だめ』など、大人が子どもに言ってしまいがちな言葉はNGなんですよ」といった話を聞かせてくれたりする。 

四半世紀後には消滅するかも知れない過疎自治体、智頭町の、その他のユニークな取り組みとあいまって、県内外から注目を浴びているようだ。

森の幼稚園について、4年前に、こんな記事を書いた。当時僕には子どもはおらず、そして今もいないが、これを書いた4年前と今では、少し考え方や見方が変わってきている。

僕たちはリアルタイムに情報を得ることに慣れてしまい、友だちが今何をしているのか、誰と会っていて、何を食べているのかを知らなければ落ち着かなくなりつつある。自分の行動を共有して、フィードバックがなければ友だちから無視されているような気になってしまう。

リアルタイムに情報を得ることが更に当たり前になってくると、子どもたちが今どこで何をして遊んでいるのか知りたいと思うのは、親として当然だろう。技術的には既に可能になっている。

先日、かなりの雪が降って、千代川の土手にもおよそ50cmほどの雪が積もった。写真を撮りに土手に上がってみたのだが、ソリ遊びをしている子どもたちはおらず、ソリ遊びをした形跡もなかった。30年前、僕が小学校の頃、土手にはソリで滑り降りた跡が何本も残り、小さなジャンプ台や、長い距離を滑るためにつくられた斜めに滑り降りるコースなどもたくさんあったものだ。

僕が子どもの頃に何をして遊んでいたかを、大人になった今、食事どきのちょっとした話題として両親に話すことがある。決まって彼らは「そんな危険なことをしていたなんて知らなんだ」と言う。もし彼らが、僕たちが幼い頃にどこで何をしていたかをリアルタイムに知ることができていたら、「あそこは危険だから行っちゃだめ」と言っていただろう。

鳥取にはたくさん自然がたくさんあり、子どもも大人も、そこで学ぶことはできると思う。毎日毎日森の中で過ごさせなくても、週末や休日に子どもたちを連れて山や川へ出かけ、楽しむことは容易い。親にその気があり、自然に関する最低限の知恵と経験、ほんの少しの技術、そして自分自身が自然を楽しむことができれば。

しかし、それができる人は決して多くない。自然が豊かな、ここ鳥取でさえ。

自然が自分の子どもに良い影響を与えてくれることが分かっていたとしても、どのように振る舞えばいいのか分からないのに、つまり、何が本当に危険で何がそうでないかを見極める力を持たず、何かが起きた時の対処法などを知らなければ当然のことかも知れない。

家族で森や海に行ったとしても、危険と思える行動を子どもがとった時、「危ないから止めなさい」と言わずにいられるかどうか。想像でしかないが、これはきっと難しいことなんだろうと思う。

だから、森のようちえんといったサービスに注目が集まるのかも知れない。親になり、自然の価値を再評価したものの、いつの間にかそこから距離を持ってしまった大人たちは、自分が子どもに与えてやることのできない体験を、そうしたサービスを通じて与えようと考えるのかも知れない。

しかし一方で、本当に必要なのかなと、やはり思う。

親が、自分でできることをできないことを認識したうえで、無理することなく、親子一緒に、この豊かな環境を通じて学び、成長すればいい。もしそれができなくても、ある程度の年齢に達したら(そして子どもたち自身が望めば)、子どもたちはすぐ近くにある鳥取の自然へと飛び出して行くだろう。嫌なら冬の土手でソリ遊びすることもない。ただし出ていけば、親は便利なツールを捨て、情報を過度に収集せず、子どもたちに任せる必要がある。

個人的にはそれが自然(ナチュラル)且つ理想かなと思うし、実際に、智頭町など自然豊かな町で暮らしている人たちの話を聞いていると確信する。

もちろんこれは、子どものいない僕が勝手に考える机上の空論であり、何が正しいとか間違いとかではない話だと思う。

幼稚園に通う年ごろの子どもたちが毎日森の中で過ごすことが、彼らにどのような影響を与え何を失わせるのか、まだ分からない。智頭町の森の幼稚園出身の子どもたちがどのような大人に育って行くのか、どういう資質を備えていくのか。今後の報告が楽しみだ。

うーむ、今回も話が飛躍し過ぎたな。

ちなみに、昨年(2015年)鳥取県は、「とっとり森・里山等自然保育認証制度」を創設しました。鳥取県の豊かな自然の中で保育をする組織、つまり「森のようちえん」のような組織の運営を補助する制度です。

何か新しい建物(ハコ)を建てるわけでも、住人が高齢化あるいは過疎化する中心市街地の活性化という名目で無闇にお金を投入するわけでもなく、自然という鳥取県が誇ることのできる資源を舞台に展開される、いま世の中でもっともニーズのあるビジネス=保育園や幼稚園の運営をサポートするというこの制度は、行政にしては(失礼)かなりのヒットだと思います。

そういえば、7月に予定していたキャンプが悪天候のためキャンセルになり、9月にリスケジュールとなりました。僕にとって初の子連れ泊まりキャンプです。

まだ子どもだけで自由に遊んだりすることはありませんが、それでも子連れという初めての状況で、自分がどんな風に感じ、考え、振る舞うのか、客観的に観察して楽しんでみたいと思っています。

* 鳥取・森のようちえん「風りんりん」
* この記事を書いた2008年当時、アキレス腱を断裂して松葉杖をついていました。

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aw

Live in Tottori-Pref, JPN. Love Camp, Sandwich, Coffee, Beer and Scotch on the rock. Pursuing Self-Sufficiency Life.

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4件のフィードバック

  1. 與座康仁 より:

    「キャンプ」で検索してたらたまたま見つけました!!

    実は、森のようちえんまるたんぼうで半年間研修に行ってまして、今は沖縄で「こども園おはな」をやってます。

    ぼくも「キャンプのように暮らしたい」というのを丁度妄想中だったので、いいブログに出会えました。ありがとうございます。

    最近は、キャンプの事ばっかり考えてます(笑)

    はぁ~。早くキャンプがしたい!!

    気になる記事ばかり!!

    ワクワク楽しく勉強させてもらいます。

    • aw より:

      與座康仁さん、コメントありがとうございます!
      実はそれほど「キャンプな暮らし」を書けてはいないのですが(汗)、今後はそっちの方向で頑張って書いていく予定なので、どうぞよろしくお願いします(笑)。

      與座康仁さんは、鳥取で森のようちえんの研修されてたんですね!僕がこの記事で書いている森のようちえんをやっている友人も、子どもたちを丸たんぼうさんに通わせていて、我が子の成長ぶりを見て、自ら開園することを決意したとか。

      実は、昨日まで一週間ほど沖縄に家族で行ってました! 「こども園おはな」は、どのあたりでされてるんですか? 沖縄も自然たっぷりの場所ですから、森のようちえんにはうってつけの環境ですよね。

  2. 與座康仁 より:

    沖縄南部の南城市辺りをフィールドにしています。森のようちえんというよりは、海のようちえんに近い感じです(笑)

    昨日まで沖縄にいたなんて(驚き)!!!!そして、惜しい!!!!

    次回は是非うちに寄って行ってください。沖縄料理ごちそうしたいです。

    awさんの言う通り、自分たちの暮らしがしっかり自然に根差していたら、森のようちえんなんか正直いらないです。一番大切なのは家庭であり、園なんかちっぽけなもんです。ちっぽけな方がいいと思います。もしかしたら、保育園幼稚園なんかない方がたくさんの子どもたちが幸福になるんじゃないかと思うくらいです。ちょっと暗くなってしまいました。

    「キャンプな暮らし」楽しみにしています。

    • aw より:

      與座さん、

      南城市なんですね。沖縄はもう二桁回数行っていますが、残念ながらそのあたりは、キャンプ適地を探して車で通ったことがあるくらいです(汗)。次回、沖縄に行った際には行ってみたいと思います! さすがに與座さんのおうちで料理をご馳走になるのは恐れ多いですが(汗+笑)。

      森のようちえんを運営されているからこそ、いろいろなことが見えるし、いろいろなことを深く考えてしまうのでしょうね。

      家庭が自然の中での時間や都市生活などの環境を適切に子どもに提供できるのが理想だと僕は思いますし、同じように考えている人もいると思いますが、実際には難しいと感じている人も多そうですね。森のようちえんは、第一には子どものためのものだと思いますが、現代においては大人(親)のためでもあるというか、一度離れてしまった自然との距離を縮めてくれるものとしても機能しているような気がします。

      僕は、自然の中での振る舞いに長けているわけではありませんが、自分の子どもには自分でできる限り、自然を含めた様々な環境での体験を与えてあげたいなーと思っています。

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