「葉っぱのぐそをはじめよう」を読んでみた

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先日一緒にキャンプした友人がふいにこんなこと言ったんですよ。

僕、キャンプでは葉っぱのぐそしかしないんです

かなりの衝撃発言なわけですが、話を聞いてみると、どうやら一冊の本との出会いがそのキッカケになったよう。

その本がコチラです。

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葉っぱのぐそをはじめよう

「糞土思想」が世界を救う 葉っぱのぐそをはじめよう

『「糞土思想」が世界を救う 葉っぱのぐそをはじめよう』(以下、「葉っぱのぐそをはじめよう」のみ表記します)。

かなり過激なタイトルですよね。

ふつうの人なら、書店で見かけてもまず手を伸ばそうとはしないはずですし、電車で前に座っている人が表紙を晒してこの本を読んでいたら、あなたはその人に負の関心を(つまりは忌避感を)感じるのではないでしょうか。

しかし僕の友人はこれを手にして大いに影響を受け、キャンプではこの本で奨励されている「葉っぱのぐそ」しかしないようになるという大きな行動変容を起こしました。

一部の方はご存知のとおり、僕はキャンプ場でのキャンプより、整備されていないただの自然の中でするそれの方が圧倒的に好きです。当然そうした場所にはトイレがありませんので、野外で用を足すことになります。

がしかし、通常は携帯用トイレを使いますし、そうでない時でも生分解性のトイレットペーパーを利用します。葉っぱでお尻を拭いたりすることはありません。

少し前までは同じように用を足していたはずの友人が、なぜそれほどまでに大きく変わったのかを知りたくて、そのキッカケとなった「葉っぱのぐそをはじめよう」を読んでみることにしました。

「糞土師」 伊沢正名

著者である井沢正名氏は、自らを「糞土師(ふんどし)」と名乗り、「葉っぱのぐそ」や「糞土思想(次節で詳述)」を広めようと全国を講演活動で回っている文筆家、写真家です。

彼の「葉っぱのぐそ」の歴史は、若い頃に熱中した自然保護活動の流れから屋外で用を足すようになったところから始まります。

地面を掘り、事後は穴を埋めて人が誤って踏んだりしないように配慮されており、その他、ブツが分解される前に間違って掘り返したりしないよう目印を立てるなど様々な工夫が施された「手法」。その後、自然ではなかなか分解されないトイレットペーパーを使うことを止めて「葉っぱ」を代用するようになり、どの葉が当該用途に適しているのかを探求しはじめたようです。

確立された氏の野外排泄法は、その名を「伊沢流インド式ノグソ法」と言います。

本書によれば、伊沢氏が屋外で行ったその行為の回数は2016年11月1日時点で1万3600回ということで、その後も順調に推移していれば、現在は1万5000回を超えていると思われます。

回数やその状況を微細に記録すること自体かなりぶっ飛んでいますが、どんな葉が良いかを実地で検証するだけでは飽き足らず、同じ葉でも形状を変えたり枯れた状態で試すなど、とにかく探究心が凄まじい。

「糞土思想」が世界を救う 葉っぱのぐそをはじめよう

「糞土思想」が世界を救う 葉っぱのぐそをはじめよう

さらに氏独自の視座から正岡子規の俳句を読み解いたり、「糞」という漢字の成り立ち(*1)、俳句でこれを意味する「まり」と(いう発音の)外国語との関連性など、彼の当該研究テーマにおける視野の広さには舌を巻くばかりです。

とにかく一冊まるまるがウンコについて、一見冗談のようなテーマを、しかしものすごく真面目に真剣に書かれています。

「糞土思想」が世界を救う 葉っぱのぐそをはじめよう
見てください、この見出し

伊沢氏は、舌癌になっても考えることは病院のトイレでなくいかに野外でそれができるかですし、一度は講演活動を優先させるために治療を諦めかけたほど、このテーマに人生を捧げている人です。なんとこの本の最後は、ある意味、自分がウンコになることを願う遺言で締めらています。

それほどの情熱を持って書かれた本書ですが、当然番万人に薦められる内容ではありません。

ここまで嫌悪感を伴いつつ読んでこられた方もいらっしゃるでしょうし、すでに冒頭で離脱された方もいるかも知れません。仕方ありません、テーマがテーマですから。

排泄物が汚物としてこれほど忌避され、人間の生活から遠ざけられるようになったのは、公衆衛生の問題が大きいと思います。

COVID-19もあって、僕たちの生活と消毒液は切っても切り離せない関係となりました。疫病や感染などが僕たちの生活に深い影を落としている今、非衛生的なウンコとの距離は今後もどんどん大きくなっていくのではないでしょうか。

ではまぜ伊沢氏は、人生をかけて、トイレでするのではなく野外でする、しかも葉っぱを使ったそれを提唱しているのでしょうか。

糞土思想とは

伊沢氏が提唱する「葉っぱのぐそ」はその字面から直感的に分かると思います。では、もう一つの「糞土思想」とはどんなものでしょうか。

人間は食物連鎖の最上位であり、我々が口にする食べ物は、言い方を変えれば「命の塊」です。

本来それは、他の動物がそうであるように、自然の中で排泄したり、自らが死んだ場合は骸となって自然に還ることで循環されるべきものですが、現代社会では排泄物は「汚物」として扱われますので、下水道を通って処理施設に運ばれ、人工的に消毒・処理され、川や海へと流れていきます。

葉っぱのぐそをはじめよう

動物の肉や野菜を食すということは、つまり陸上に存在する無機質(ミネラル)や有機物を人体に集めることであるから、それを元あった場所に戻さなければ、正しい循環が失われてしまうというわけです。

これはパーマカルチャーでも大切にされている考え方ですね。

パーマカルチャーは、パーマネント(Parmanent=恒久的)とアグリカルチャー(Agriculture=農業)をくっつけた言葉です。近い将来破綻すると言われている化石燃料に依存した現代農業から脱却すべく、より地域の資源やエネルギーを循環させて恒久的に持続可能なかたちで運営できる農業の考え方、デザインを意味します(*2)。

こうした考え方があることを、以前、R町の土地にトイレをつくろうと考えた時に行った下調べで知っていたこともあって、伊沢氏の「糞土思想」もすんなり理解することができました。

本書の内容は、パーマカルチャー実践者や自然保護活動家にありがちな除草剤に対する誤解が見受けられたり、痴漢などの性犯罪を軽視する姿勢など、一部に共感できない点があるものの、個人的には概ね共感できますし、理解もできます。

とはいえ、日本だけで考えてみても、1億2000万人以上の人間が毎日野外で排泄することなど非現実的ですし、当然これは著者も理解していることです。

時間帯や季節を問わず、快適で安全なトイレという空間で用を足すという利便性を日本人はもとより、人間が手放すことは考えられず、この本に強く共感したとしても、現実的に僕たちができることは、正に友人が実施しているように「キャンプの時は、葉っぱのぐそをする」というものではないでしょうか。

それによって、自然に必要な循環を人間が途切れさせているという現実を変えることはできないと思いますが、こうした話をするきっかけにはなります。キャンプの荷物を減らすこともできます(笑)。

完読しても僕は葉っぱを使った用足しをする気にはなりませんでしたが(*3)、次のキャンプではサイトの周辺にどんな草木、葉があるのかといった観察や情報収集、仲間との意見交換をしてみたいと思っています。

*1 糞という字を分解すると「米」「田」「共」の3つになります。米はモミ(種籾)を指します。つまり「田」んぼに「米」と「共」に入れるもの=米を育む肥料という意味を持つ言葉だという解釈です。
*2 現在は農業だけではなく、社会や都市における生活にも当てはまるような汎用性の高い思想に変化してきています。また循環型農業全てをパーマカルチャーと呼ぶわけではありません。
*3 僕の幼少期は、自然の中で遊ぶのが当たり前でした。当時、公衆便所なんてほとんどなかったし、トイレを開放しているお店などもなく、あったとしても子どもだから気軽に入店もできません。スーパーなどの食料品店でもトイレが開放されている店は少なかったのではないでしょうか。というわけで、催した場合は常に野外で用を足していました。拭き取りに使うのはもちろん葉っぱ。伊沢氏には負けますが僕も相当回数を経験してきています。ゆえに、やり尽くしたのでもういいかな、という感じですね(笑)。

aw

Live in Tottori-Pref, JPN. Love Camp, Sandwich, Coffee, Beer and Scotch on the rock. Pursuing Self-Sufficiency Life.

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