書き上げるのにえらく時間のかかった、2つのEについての話

昨年の春、娘が保育園で言うところの年長(5歳児)クラスとなりました。そして、あと数か月もすれば小学生です。

彼女が生まれてからの6年間という時間は、決して「あっと言う間!」だったとは思いませんが、二度と繰り返すことのない時間だと思うと(もちろん他の時間も同じですが)時間の流れという事象に対してこれまであまり感じたことのない、言葉には表せないなんとも複雑な気持ちになります(言語化力がないもので……汗)。おそらくこの感情には、間もなく50歳になろうとする自分が、残された時間が有限であることを強く実感していることも影響しているとは思います。

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すぐそばで彼女を見続けていて思うのは、子どもは生まれた瞬間から様々なかたちで学び続けているんだなということ。学校に入ると国語や算数、理科、社会など分かりやすいかたちでの勉強がスタートしますが、学ぶという体験は、学校に入って急にはじまるのではありません。僕たち親が、就学前のかたちのない学びの体験を楽しく刺激的なものにできるかどうか。これによって学校で学ぶという体験をポジティブに迎えさせてあげられるのではないかと気づきましたね(気づくのが遅い汗)。

娘が未就学で迎える最後の夏を控えた昨年6月初旬。頭の中にボンヤリとあったこと — 僕が彼女に親として何をしてあげられるのか、何をしてあげたいと思っているのか — を書き出してカタチにしてみようとこの記事を書きはじめました。時間がかかることは想像できていたので、記事名を「T町ハウスの夏 2021」として、8月くらいの公開を目指して書き進めていきました。

が、自分の思考は全く整理されておらず、自分で自分の考えがきちんと理解できていないことの方が多いことに、書きはじめてから気づくわけです(僕の場合、一事が万事コレですけどね)。

少なくとも全面的なリライトを10回は繰り返し、結局、公開が半年以上も延び、年も明けて2022年になってしまいました……。

一つ目のE – 教育格差の積極的是正

以前、友人たちと集まっている時、その中の一人がこんなことを言いました。

「自分の子どもには公務員になってほしいから、そのための専門学校に行かせたい」

公務員であるその友人が、現在の仕事を楽しみ満足しているからこその発言なのでしょう。

僕はと言うと、彼女の将来の仕事や生き方について、具体的に想像することをできるだけ避けています。

そしてもしできるなら、(狭量な僕にとっては挑戦になりますが)彼女の人生を、僕が良いと思う方向に誘導するよう働きかけることも避けたいと思っています。

なぜなら、いみじくも僕の友人が考えたように、僕たちは自分にとって本当に大切な人が迎えた、または迎えるであろう重要な局面に対して、古くから広く知られている堅実な情報か(「公務員が安定していて良い」とか「一流大学を出て大企業に入ると安泰だ」とか)、自分の経験や知識、成功体験という非常に限られた情報に基づいてしかアドバイスできないからです。

振り返ってみると、親が僕に与えてくれたアドバイスはありがたかったとは言え、かなり保守的だったことは否めません。しかし、当時はまだ保守的な進路が身を守ってくれていた時代だったのかも知れません。

2022年現在、いわゆる保守的な考え、堅実だと思える進路が、もはや身を守る手段でも安泰な道でも、そして決して幸せな生き方でもないことは多くの人が感じているのではないでしょうか。

娘が成人する14年後、僕は還暦を迎えています。ジイさんになった僕が未来や時流を捉えて、価値のあるアドバイスができるのか。おそらく、全くできないでしょう(何か少しでも価値のあるを発言しているとすれば、読んだ本の受け売りくらいでしょう)。僕にできることは、彼女が全力で考えて決めた道を、同じように全力で支えることくらいでしょうか。

14年後は14年後にいきなりやってくるのではなく、現在と地続き。いま何を目的にどんなことに取り組めば、彼女が大人になった時、自分で自分の世界を広げ、自分の歩む道を決められる力を育むスタートが切れるのか。

陳腐な答えですが、最も大切になってくるものの一つが教育だと僕は考えています。

僕自身はどうだったか

僕は高校をひどい成績で卒業したあと、地元の消防士になりました。鳥取の消防士は公務員に準ずる立場。まあ、ほぼ公務員です。

ただ、(もう30年以上も前の話なので記憶が曖昧ですが)僕は公務員になりたいと思って消防士になったわけではなく、消防士になりたくて消防士になったはずです。

ではなぜ消防士かと言うと、当時公開された映画「バックドラフト」にめちゃくちゃ刺激を受けたことと、伯父が消防で働いていたことが大きな決め手でした。


この映画観て消防士になったって人、かなりいるんじゃないですかねぇ(画像出典: IMDb

つまり当時の僕は、今のようにインターネットがなかったとはいえ、自分の仕事を決めるという重要な決定のための情報収集を、近所の映画館や親戚といったごく限られた狭い範囲で行っていたわけです。

そんな狭い世界に生きていた僕でも、数年後に消防士を辞めて上京し、学校に通って様々な背景や個性を持つ友人たちと触れ合うことで、生きる世界を少し広げることができました。

その後就職したレコード会社での仕事も僕の視野を広げてくれましたが、やはり僕にとって最大の体験は、米国のIT企業でのものでした。

僕が入社した2001年(もう20年以上前なんですね……)、日本ではごく一部の人にしかその名を知られていなかったAmazonは、黒船と揶揄され、当時取り扱っていた書籍、CDやDVD、TVゲームやPCソフトウェアなどの業界から敵視されていました。そんな嫌われ者で働いていたのは、各業界から引き抜かれてきた異端児(だけれども仕事は恐ろしくできる猛者)たち。そして、米国企業だけに外国人も多く働いていました。

ここで僕の世界は一気に広がりました(この企業での経験はまたいつか書きたいと思います)。

僕は日本人、というよりもスケール的には鳥取人といった方がふさわしいですが、彼らは日本やアメリカといった国の縛りがない、地球全体をフィールドに活動している地球人であり、実に優秀でオープンで、自由でした。

僕にとって非常に厳しくも刺激ある環境は、僕の成長を大いに促してくれたと思いますが、この経験を元に僕が誰かにアドバイスするならこうでしょう。

勉強なんてする必要ない。行動すれば何かしら経験が得られる。自分がそうでなくとも、すごい人たちとも出会える可能性だってある。彼らから学ぶことの方がずっとずっと大きい

学びが世界を広げる(と思う)

僕がAmazonで出会った人たちは、ほぼ例外なく高い教育を受けていました※1

また、最近耳にすることが増えたリカレント教育も、当時すでに多くの同僚が実践していました。しっかりとした教育を受け学んできた人は、その重要性を認識し、また教育を通じた成功体験を重ねているからこそ、大人になり社会に出たあとも学び続けるわけです※2

教育は基礎的なことを学ぶことからはじまります。その中で自分の関心事に気づき、探求し、学び続けることで人との繋がりも生まれ、そこに自分の人生が重なることでより世界が広がっていきます。

当然のことながら教育だけが世界を広げるわけではありませんが、そのキッカケや原動力になってくれることは間違いありません。

教育による成功体験の不在

こうした話、つまり「教育が重要だ」という話を地元の友人や知人に話すのですが、同意されることが非常に少ないことを興味深く見ています。

僕が考える教育の目的は、「進学校から日本の有名大学に入り、そして大企業に」といったものでは全くありません。大卒の方が生涯年収が高いから、といったものとも違います。

しかし、ここ日本(というと主語が大きいので、僕の周囲)では教育という言葉に対するイメージが画一的なのか、先に書いたような目的を想起させてしまうようです。

そしてそれが無くとも現在の生活に満足を感じている人たちが多いし、高い教育を受けていないことで困った経験がない、逆に言えば教育による成功体験を持つ人が多くないので、「娘の教育を大切にしたいと思う」といった話をすると、「必要ある?」みたいな反応が返ってくるわけです。

しかし、これが教育界隈で指摘されている格差の根源です

日本は凡庸な格差社会・身分制度であり、本人には選択できない「生まれ(出身家庭—親の学歴・社会経済的背景(SES)—や、生まれた地域)」という初期条件によって、職業、収入、健康など、その後の人生の選択肢や可能性が制限される社会。このことに本人や親はもちろん、多くの日本人は気づいておらず、そしてこの格差は、「公平性」の名の下に構築された現在の教育制度によってより強化、拡大される仕組みとなっている。
— 松岡亮二氏の「教育格差」をawが独自にまとめたものです

先述のとおり、僕も十分な教育を受けてきたわけではなく、属性としては完全な低学歴です。

しかし僕が運が良かったのは、一般的に生じやすい、学歴を要因とする分断によって目にしないはずだったもの、つまり「教育による成功体験」を体現している非常に優秀な人たちを間近で見、また彼ら/彼女らと一緒に長期間仕事できたことです。

そして今、彼ら/彼女たちが自分の子どもにどのような教育を与えているのか、与えようとしているのかを(一部だとしても)SNSを通じて発信してくれていることは、身近にロールモデルが存在しない現状において非常にありがたいし、僕にとっては貴重な情報源になっています。

とはいえ鳥取のような地方においては、教育に対して積極的に向き合ってはじめて都市部の子どもたちが享受している平均的な教育レベルに達するかどうかという環境です。

この教育格差の是正にできるだけ取り組みたいというのが、いま僕の考えていることの一つです。

二つ目のE – そのうえで多様な体験を

Amazon勤務時代の上司の一人K氏の生活は、なんと言うか別世界のような感じでして、子ども4人を含む家族6人で頻繁に国内外を旅行したり(弾丸旅行ではなく、パリを拠点に欧州にひと月以上滞在とか)、さまざまな文化/野外活動への参加、子ども3人の米国留学支援(残る一人はまだ幼い)などなど、「ワァ、スゴイ」という感じなのですが、ある時ふと思ったんですよ。

なぜ僕はこれを「別世界のよう」だと思ってしまうのか。

そう自問してはじめて、子どもに与えたいと思う経験の幅を、僕が経験してきた範囲でしか考えられていない(考えがち)だと気づいたんです。まずこの無意識の囲いを取っ払わなければ、できることもできません。

自分が体験してこなかったからと言って別世界のことだと決めつけてウットリ眺めているのではなく、良いと思えることならどんどん実践していきたいと思っています。

教育によって広がるのが思考の世界ならば、実際の体験によって広がるのは現実の世界。これらはどちらか一方だけよりも、両者が豊かになればなるほど良いはずで、相互に強化し、補完しあうものだと思います。

まずは、僕たち親も子どもと一緒に体験できたら楽しいだろうなとワクワクするようなこと、でも頭のどこかで無理だと決めつけてリストから除外してしまっていることも含めて、しっかりリストにしてみたいと思います。

彼女が彼女自身で何かを選択するべき場面が来た時に、僕のような — 重要な決定のための情報源が極めて限定されていた — 状態ではなく、少しでも世界を広げておいてあげたいなぁと思う2022年正月です。

・・・

そんなわけで、今年も当ブログをよろしくお願いいたします。

※1 大企業になった現在のAmazonの方が、もしかすると高学歴者が集まっているのかも知れません。しかし当時は、高学歴且つベンチャー志向の強い、ちょっと変わった人材が集まっていたように思います。当時のことがよく整理された連載記事がありますので、よろしければ。Forbes 「アマゾン ジャパンができるまで
※2 僕たち大人は、多かれ少なかれ、社会に出てから教育や学びの重要性を感じると思います。むしろ大人になってからの方が、勉強したくなったり、その必要性を感じることが多いんじゃないでしょうか。しかし実際に行動する人としない人の差はハッキリとあります。

aw

Live in Tottori-Pref, JPN. Love Camp, Sandwich, Coffee, Beer and Scotch on the rock. Pursuing Self-Sufficiency Life.

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2件のフィードバック

  1. amukatamukat より:

    数回読みましたが、全ては理解できませんでした。クレームでありませんw私の読解力の問題です。それでもまた読みたくなる(引き付けれらる)内容でした。なので、定期的に読みます!
    私も小さいな子がいるので将来を考えます。自由にして欲しいと思っても、私が小さい会社で働いているため将来は良い大学、大きい会社・・・で楽して欲しいな~と思いますが、もうその生き方は古いのかもしれませんね。記事にもあったように私自身、無意識の囲いを取り払わなければと思いました。

    色々と将来のことを考える良いきっかけになったため、コメントさせていただきました。
    Amazonでの話も楽しみにしています!

    • aw より:

      amukatamukatさん、コメントありがとうございます☺️

      何度もお読みくださったのに「分からない」とお感じになったというのは、ひとえに僕の文章力の至らなさかと。本文にも書いておりますが、自分自身、思考を整理しながら何度も書き直した文章ですので、公開したとはいえ読んでいただけるような状態かどうか怪しいものがあります😥 加えて、自分自身の経験を踏まえて書いておりますので、かなり感覚的なものを土台にして書いているところもあろうかと思います……。繰り返しお読みくださり、ありがとうございます😊

      僕も娘に要らぬ苦労はさせたくないと思いつつも、では苦労の要/不要をどう判断するのか、そもそも判断できるものなのか、できるとして自分にその力はあるのか、など考えるとキリがなく、結局のところ親である僕ができるのは、彼女が多様な教育や体験を受けられる環境をできる限り準備することと、生命と健康を守ってやること(と、その大切さを全力で伝えること)くらいなのかなあと思ったりしています。とはいえ、子どものことについて「ここまで考えたらOK」というのはないでしょうし、永遠に心配し、考え続けるものだと思いますが……。

      あらためて、コメントありがとうございます。

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